自衛隊中央病院 箱崎 幸也・越智 文雄・宇都宮 勝之
リシンは、世界中で栽培されるひましの豆(トウゴマ)から抽出され、比較的簡単に大量の毒素を得ることができる。この毒素は蛋白複合体であり、熱や次亜塩素酸塩溶液に弱い。蛋白質なので抗原性があり、人ではアレルギー反応を起こす。トウゴマの種子を圧搾するとヒマシ油がとれ、絞りかすにリシンが残る。リシンは油に溶けないので、ヒマシ油の中には溶け込まない。絞りかすは肥料として使われ、モグラ退治用の農薬として製品化している国もある。
第二次世界大戦中米国で生物兵器として開発され、毒性がきわめて高くソマンやVXと同等である(ホスゲンの40倍)。臭いがなく症状が徐々に現われるので、警戒されにくく戦場での検出方法が困難などの特徴がある。熱や衝撃によって活性を失うので兵器化には間題があるが、細菌や毒素を爆弾や砲弾として兵器化するモデルとなった(※19)。1978年ロンドン市内のバス停で、ブルガリアの作家ゲオルギ・マルコフが何者かにこうもり傘の先端から大腿後面を撃たれた。数時間後から高熱がみられ、26時間後に血性嘔吐を繰り返し、不整脈・腎不全を併発し出血性ショックにて11日目に死亡した。剖検で、大腿後面から直径1.52mmの金属球が摘出され、リシンが検出された。
症状が現われるまでに、数時間の潜伏期がある。毒素はエアロゾル吸入か経口摂取により、蛋白の同化を妨げ直接細胞に作用し組織壊死を起こす。エアロゾルの吸入では、8時間の潜伏期後に息切れ、胸部圧迫感、咳、発熱、悪寒、筋肉痛を起こす。36〜72時間で、肺水腫による呼吸不全で死亡する。リシンを経口摂取された患者は、嘔吐、下痢、腹痛、ショックを起こす。リシン毒素の合併症は、多臓器不全と播種性血管内凝固(DIC)である。
治療は補助療法のみで、抗毒素はなくワクチンや予防法も現在まで開発されていない。経口摂取後4時間以内なら、催吐が有効と考えられる。嘔吐・下痢で脱水が著しいので、水と電解質の補給が重要である。尿中排泄はほとんどなく、強制利尿は効果がないが、遊離へモグロビンによる腎障害防止のため尿のアルカリ化が有効と考えられる(※20)。呼吸不全は酸素投与をし、必要があれば気管内挿管・人工呼吸で治療する。低血圧やショックでは、輸液を含めた全身管理が必要である。リシンに傷害されても、皮膚が除染されていれば、隔離や注意の必要はない。次亜塩素酸塩は、リシンを変性させ無効にする。