血液剤(シアン化合物)

自衛隊中央病院 箱崎 幸也・越智 文雄・宇都宮 勝之

血液剤(シアン化合物)

特性

アーモンド臭(注意:半数のヒトは遺伝的にこの臭いを感知できない)を呈し、空気より軽く高い揮発性を有する。猛毒で効果的濃度以上であれば高い殺傷力を有するが、それ以下では効果がない(all or nothing 生物学的活性)。

徴候と症状

臨床症状は非特異的であるが、チアノーゼを示さない呼吸困難と「サクランボ色の赤い」皮膚が比較的特徴的である。頻呼吸・痙攣もみられる。

除染方法

揮発性が高いため通常必要ないが、高濃度曝露時には水などで除染する。

検査法

血中シアン化物濃度高値と乳酸代謝性アシドーシスがみられる。静脈血の酸素分圧が正常より高値を示す。

治療

呼吸管理とアシドーシス補正が重要である。
亜硝酸アミル吸入(曝露15秒以内に吸入、5分間隔で5〜6回吸入)、亜硝酸ナトリウム:1A(300mg/10ml)を2〜4分、25%チオ硫酸ナトリウム溶液 50mlを10分以上での静脈内投与が有効である。

シアン化合物

概要

シアン化物は、細胞内ミトコンドリア中のチトクローム酵素と結合し、細胞の酸素代謝を直接阻害する速効・致死性の剤である。シアン化物という名称は、陰イオンシアンもしくは、その酸化物である青酸の総称である。
同じような毒性を持つ関連化学物質としてはシアン化水素、シアン化塩素、シアン化臭素がある。シアン化物は吸入により全身に作用し、その効果は血液によって運搬されたと考えられていた。
ゆえに「血液剤」と呼ばれた。しかし神経剤も表面上同様の状況を示すため、今日ではこの名称は意味をもたない。シアン化物の毒性は神経剤(サリン)の1/25〜1/50と毒性が低い。
しかし、シアン化物は製造するのが比較的簡単で安価であるため、テロリストが使用する可能性はいまだ存在する。本邦でも、毎年数千トンの産業用シアン化物とその関連物質が製造され、世界中を輸送されている。建物火災などでアクリル系繊維や樹脂、ポリウレタン燃焼時には、シアン化物(シアン化水素)が死因となることもあり、初動対応要員はシアン中毒患者の医療管理に精通しなければならない(※18)
第一次世界大戦中フランスは約4,000トンのシアン化物を使用したが、十分な成果を収められなかった。
使用された2〜3ポンド弾薬が小さすぎて致死的必要量のシアン化物が充填出来なかったことや、高い揮発性により直ちに蒸発・拡散したため致死的濃度に達しなかったことが原因と考えられている。
1980年代イラクは、クルド人に対し使用した可能性がある。血液剤はその高い揮発性のため曝露周囲の人々のみにしか症状が出現しないため、テロリストが局地的に使用する可能性はあるが軍事的価値は低い。

特性・作用機序

シアン化物は、弾薬中では液体の状態にあり、爆発によって急速に気化し脅威を与える。液体での毒性はマスタードと同様であるが、化学兵器の中で最も毒性が低い。シアン化物の化学兵器化には大型の弾薬(爆弾、大砲弾)を要し、実用的でない。通常は蒸気吸入により中毒を起こすが、シアンが混入した食品や水を摂取することによっても起こる。
50%致死曝露量(LCt50)は、シアン化水素(AC)では2,500〜5,000mg/m3/min、シアン化カリウム(CK)では11,000mg/m3/minとされている。ACのLD50は、静脈内投与では1.1mg/kg、皮膚被曝では100mg/kgとされている。一度体内に入ると作用は激烈で、高濃度を吸入すると1分以内に意識障害が起こり、6〜8分以内に死亡する。中等度の曝露でも意識障害の発生や死亡する場合があるが、初動対応要員が対応する十分な時間がある。
低濃度曝露では短い時間症状が出現するが、治療をしなくても殆ど回復する。シアン化物のこの「all or nothing」的な生物学的活性は、トリアージや治療を行う上で重要である。
シアン化物は、ある種の硫黄化合物や金属複合体 [コバルト、3価の鉄イオン(Fe3+)] に高い親和性を持つ。シアン(CN-)は、呼吸酵素であるチトクローム酸化酵素のFe3+と結合し、この酵素活性を阻害する。
この結果、細胞内でのミトコンドリアではブドウ糖からのエネルギー産生が停止する。組織に酸素は供給されるが、組織での酸素利用が阻害される。さらに嫌気性代謝が進み、乳酸が蓄積され代謝性アシドーシス(乳酸アシドーシス)となる。

臨床症状

急速に出現した痙攣・呼吸促迫、さらには乳酸アシドーシスがあれば、まずシアン化物中毒を疑って診断・治療をすすめる。シアン化物では、まず中枢神経系(CNS)と心臓に影響が出現する。高濃度のシアン化物の気体吸入後、約15秒で一過性の過呼吸が生じ、さらに15〜30秒で痙攣が始まる。被曝後2〜3分後には呼吸停止が、約6〜8分後に心停止が起きる。
シアン化物の経口摂取または低濃度の気体吸入後の症状は、一過性の過呼吸とともに頭痛、頻脈、不安、動揺、めまい、嘔気、嘔吐、痙攣である。低濃度では、ほとんどの症例で症状はすみやかに軽快し救急治療は必要としない。一部の患者では、その後意識消失が起こり、呼吸数減少や呼吸が浅くなり、痙攣、無呼吸、不整脈、心停止と続く。
症状の進行や重症度は吸収量や吸収程度によって変わってくるが、重篤な症状を呈するまで多少時間的余裕があり診断及び適切な処置が可能である。クロロシアンは上述の症状とともに、催涙/嘔吐剤と同様、眼、鼻、気道に刺激を与え、著明な流涙と鼻汁の亢進、気道内粘液の分泌亢進を引き起こす。
身体的所見は非特異的であるが、2つの特徴的な所見がある。チアノーゼを伴わない呼吸苦と「サクランボ色の赤い」皮膚であるが、実際は約半数に認められるだけである。これは、組織障害によって酸素の取り込み障害がおき、静脈の酸素含有量が高くなり静脈血の色が動脈血の色に近くなるためである。

鑑別診断

シアン化物の曝露が明らかでない時、診断に苦慮する。突然の過呼吸から痙攣・呼吸停止・意識障害の患者では、サリンなどの神経剤被曝や脳/心血管障害・てんかんとの鑑別が問題となる。
縮瞳や分泌物増加などの徴候があれば、神経剤とシアン化物との鑑別は容易である。致死的濃度に達しなければ曝露周囲の人々にほとんど影響はみられないが、マスタードは致死量の1%でも眼に障害を引き起こす。

検査所見

検査所見に、シアン中毒に特異的なものはない。心電図上では不整脈やST-T波の異常が出現し、終末期には徐脈性不整脈を呈する。
ブドウ糖の好気的分解が阻害され、嫌気性代謝が進み乳酸が蓄積し、乳酸濃度の高い代謝性アシドーシス(乳酸アシドーシス)が見られる。静脈血の酸素分圧高値も診断補助になるが、パルスオキシメーター値(動脈血酸素分圧)はシアン中毒の呼吸状態を正確には反映しない。
動脈血液中のヘモグロビンの酸素飽和度は正常値を示しているにも関わらず、シアン化合物が酸素の利用を阻害するため細胞は低酸素状態であり、注意を要する。血中のシアン化物濃度上昇が認められれば、診断は確信されるが、迅速な測定は困難なことが多い。
中等症は、0.5-1.0µg/mL の濃度で生じ、2.5µg/mL以上の高濃度は昏睡・痙攣・死亡患者にに認められる。 呼気のアーモンド臭も特徴的とされるが、遺伝的に20〜50%の人はこの臭いを感知出来ないので注意を要する。

トリアージ

進行性の重篤な症状(痙攣、呼吸困難)の患者や、数分以内の吸入被爆被曝後数分以内の患者で、痙攣を伴うかまたはい無呼吸になった直後であるが、なって間もないが循環はは保たれている者が、緊急治療群(赤)に分類される。
シアン中毒の場合、拮抗剤の即時投与により回復は比較的速く救命し得る。無呼吸を伴い脈拍が触知出来ない患者は死亡群(黒)である。
待機的治療群(黄)は、致死量未満の吸入被爆被災者で症状の少ない者や、中等症から回復途中の者、もしくは治療が効果的であった者である。最小治療群(緑)には歩行患者が分類されるが、多くの場合、症状が軽快すれば救急治療は要しない。

治療

初期治療で特異的な点がいくつかあるが、呼吸停止時には直ちに人工呼吸(気管内挿管かバッグマスク)を開始しアシドーシスの補正をしなければならない。シアン化合物は吸収が早く直ちに全身中毒を起こすので、マウスツゥマウスの人工呼吸は厳禁であり、皮膚に付着したものや吐物には触れてはならない。
除染は揮発性が高いため通常必要ないが、高濃度曝露時には水などで除染する。眼に入った場合は、直ちに除染しなければならない。すぐに拮抗剤治療を開始することが患者救命に必要である。

拮抗剤治療

治療の目標は、1.チトクローム酸化酵素複合体中のチトクロームAからのシアン化物の除去、2.シアン化物が、細胞に再進入し酵素抑制ができないようにシアン化物の解毒である。
この治療には、シアンがFe3+に強い親和性を持つ性質を逆用して行う。亜硝酸アミル吸入や亜硝酸ナトリウム投与にて、正常のヘモグロビンのヘムに含まれる2価の鉄イオン(Fe2+)を3価の鉄イオン(Fe3+)に変化させる事でヘモグロビンをメトヘモグロビンに変換する。
その後、チトクローム酸化酵素のFe3+と結合していたシアンが離れて、メトヘモグロビンのFe3+と結合し、シアノメトヘモグロビンをつくる。
このように、とりあえずメトヘモグロビン形成で急場をしのいだあと、チオ硫酸ナトリウムを投与すると硫黄がシアノメトヘモグロビンから少しずつ遊離してくるシアンと結合し、チオシアネートとなる。これは毒性が低く、腎臓から排泄される。血液透析によって排泄はさらに促進されるのて、重篤な代謝性アシドーシスを伴う時には併用する価値がある。実際に臨床で使用する時は、以下の投与法に準じて行なう。

  1. 亜硝酸アミル吸入:シアン化物解毒剤(メトヘモグロビン形成薬)の第一選択
    曝露15秒以内に吸入させ、5分間隔で5〜6回繰り返す。立位使用時での、低血圧に注意を要する。必ず亜硝酸アミル吸入後に、経静脈的に亜硝酸ナトリウムを投与する。
  2. 亜硝酸ナトリウム(市販されていない):メトヘモグロビン形成薬
    1A(300mg/10ml)を、5〜15分で静脈内投与を行う(小児:10mg/kg)(※19)。貧血時には、投与量を少なめに調整する。血圧低下をきたせば、ノルエピネフリンの静注で血圧を保つ。投与量が多すぎて重篤なメトヘモグロビン血症時の治療には、シアン中毒が悪化するのでメチレンブルーを投与してはならない。その時は、血液透析以外に救命処置はない。
  3. チオ硫酸ナトリウム:硫黄がシアンと結合し、尿中への排泄を促進
    10%チオ硫酸ナトリウム溶液(デトキソール)125mlを、10分以上かけて静脈内投与を行う。小児では400mg/kgを使用する。
  4. 以上の処置で効果がなければ、3〜4回、初回量の半量を投与する。
    亜硝酸ナトリウムとチオ硫酸ナトリウム併用療法では、低血圧や低酸素血症が起こる可能性があり、患者を仰臥位に寝かせ酸素を投与し副作用を最小限にしなければならない。この併用療法は、それぞれの単独療法より効果的でありシアンの毒性を1/5にする事ができる。亜硝酸アミル(ナトリウム)単独ではシアンの毒性を1/2に、チオ硫酸ナトリウム単独投与では1/3にする。

亜硝酸-チオ硫酸法の欠点は、メトヘモグロビン濃度調節ができないことである。治療効果を有効にするには、メトヘモグロビン濃度を約40%にしなければならないが、小児や貧血症患者の場合にはこの濃度はしばしば危険である。またメトヘモグロビンが形成されるのに、時間がかかることも欠点である。
この欠点を補うために4-ジメチルアミノフェノール(ドイツで市販)が存在する。これは効果出現は早いが、持続時間が短い。現在ヨーロッパでは、コバルトとEDTAとのキレート化合物の形の製剤「Co2EDTA、ジコバルトEDTA」がシアン中毒治療の第1選択薬となっている。
急激な血圧の上昇や低下、不整脈、アナフィラキシー様反応などが起きるので、注意を要する。さらに安全な拮抗剤ヒドロキソコバラミン(ビタミンB12a)が開発され、効果は亜硝酸-チオ硫酸法と同程度で副作用が少ない。

補助的治療

補助的治療は酸素投与と代謝性アシドーシスの補正である。理論上は、組織での酸素利用が阻害され酸素投与は役立つとは限らないが、実験的研究及び実際の患者管理において酸素投与は有効であるとされている。ただし、高圧酸素に使用に関しては、その有効性に根拠はない。

青酸ガス吸入時の身体的影響

青酸ガス濃度
(ppm)
症状
18〜36 数時間後に、軽い症状出現
45〜54 20分〜1時間は、身体に影響なく耐えられる
110〜125 20分〜1時間で、生命危機または致死的に陥る
135 30分で、致死的に陥る
181 10分で、致死的に陥る
270 曝露直後に、致死的になる