アフガニスタン難民救済・医療支援による平和構築ための調査

調査地域

アフガニスタン難民調査のためパキスタン北西辺境州ペシャワール市周辺キャンプ地 Kacha Ghari camp、Nasir Bagh camp
イラン、テヘランから空路2時間のイラン南東部ザヘダーンより北へ220kmの位置 Niatak camp

派遣期間

1998年3月9日から3月18日

長期化したアフガン難民の現状

HUREX(Humanitarian Relief Experts)
Dr.金田 正樹、Dr.国井 修、Logistics 荒井 尚之

概要

アフガニスタン内戦の長期化は260万人の難民を生み出した。
政府がPKO法に基づき人道援助専門家グループを発足させたことを機にアフガン難民の現状とパキスタンとイラン側の難民現状を調査した。両国におけるキャンプの衛生環境、健康管理には大きな差を認め、パキスタン側政府,国連機関、NGOなど援助が効果的に機能しており、その生活環境は及第点に近い。

しかし、イラン側はNGOの活動を認めていないこともあり難民にとっては厳しい生活環境であった。
また本国アフガンの国連機関およびICRCからの情報では自国による保健行政はほとんど機能していない、アフガン難民の今後の問題は和平後の難民帰還である。これらにはアフガニスタン本国の医療環境の整備と帰還時の彼らの健康管理が大きな問題であり国際的な援助が必要となる。
その時には日本の医療援助としてNGOがその復興に積極的に関わるべきと本国の調査をした。


方法

アフガン難民の庇護国であるパキスタン及びイランを訪問し、行政サイド4名、医療専門家サイド3名からなるメンバーでGeneral Situation、Medical Situation、Logisticsの項目について調査した。
現地における主要会談は大使館、現地政府関係機関、国際機関現地事務所、NGO、難民代表などが主であった。
またパキスタンではペシャワール近郊の難民キャンプ、イランではザヘダーンの難民キャンプを視察調査した。

結果

アフガニスタン本国(1998年3月現在)

1996年9月にイスラム原理主義タリバーンが首都カブールを制圧し暫定政権を樹立。これに対してドスタム派、ラバニ派、ハリリ派が反タリバーン同盟を結成し、いまだ内戦状態にあるが、タリバーンが国土の90%を支配している。 これらの勢力に周辺諸国が民族的、経済的利害関係により大きく関与し、国連アフガン特別ミッションの和平活動もなかなか進展していない。

電気は自己完結しており大型自家発電車で確保するアフガン国内の避難民の状況は以下に集約した。
国内避難民は250万でその多くは南部の都市ヘラート周辺生活しており、彼らへの援助。難民の帰還、和平後の保健衛生計画などのためにすでにUNHCR、UNICEFの国連機関をはじめICRIもアフガン国内に事務所を設置して活動していた。
イラン側からのLogisticの搬入は不可能(イラン現地政府の見解、イラン国内に物資が空輸された時点で関税をかけ、わが国のLogistics 物資になるとの事。今まで海外の援助物資は我々が管理している)
また、アフガニスタン国内での医薬品,食料、生活用品の物量(Logistics)は現地のローカルワーカーと車両を利用した目的地の各キャンプに無事到着して初めて金銭を支払う、安全対策を講じたシステムであり多いに、これらを利用すべきであろう。
電気についてUNHCRは自己完結し独自の大容量の電源車を配置し安全の確保をしていた。
視察キャンプ地の水道については水質、水量とも不安であるため、ルワンダ難民救援の時のようなシステム(大容量の水源確保と各キャンプ地に高さ1メートル長さ10メートルのウオターバッゲージまたは給水塔からの配給、10日ごとのタンクローリーでの入れ替えが望ましい。Logistics学から一人日3Lが目安である。)
トイレについて、各キャンプ地とも統一されてなく居住区から離れた汚物地区を設け、消毒し土に埋没する方法が望ましい。
またRadio communication systemについてはイラン国内ではUNHCRといえども電波の発射が封鎖され、無線局は許可されずイラン側では不可能です。アフガン国内での難民キャンプUNHCR局の無線室の撮影が許可された。


車両無線の大切なアンテナ接合部分パキスタン側の無線機器アンテナ群、UNHCR車両の大切なアンテナ接合部分
よって周波数帯はUNHCRのRadio Expertsが共用、と緊急の周波数を指定させる。(HF、VHF、UHF)
我々はこれとは別に衛星電話画像インターネット回線を常時開設しておく。
1998年3月のWHOの報告によるとアフガン国内ではマラリア、下痢、麻疹、肺炎、結核、妊婦の疾患が増えている。とくに結核患者は12000人を超え、その75%は妊娠可能な女性であると報告している。(WHO:afghanistan-press Reiease NO5.February3.1998)
また乳幼児、妊婦の死亡率は世界トップで国内状況から公衆衛生がカバーできないためである。
アンテナ群1997年8月のICRCの報告ではICRCが援助している外科病院は国内に5つあり合計897床、同年1から8月まで11,221人その36%は戦争外傷であったと報告している。(ICRI:ICRC Activities in Afghanistan October.1997)
本国アフガンの国連機関およびICRCからの情報では自国による保健行政はほとんど機能していない、アフガン難民の今後の問題は和平後の難民帰還である。これらにはアフガニスタン本国の医療環境の整備と帰還時の彼らの健康管理が大きな問題であり国際的な援助が必要となる。

パキスタン

アフガン難民はパキスタン北西辺境州ペシャワール市周辺のキャンプで生活している。我々が調査したキャンプは以下の2つである。

Kacha Ghari Camp

1980年に作られたキャンプで現在17,320家族(1家族約7〜8人)が生活している(UNHCR:Purofile of Kacha Ghari Camp1997)
キャンプの中心にヘルス管理センターがあり、医師、看護師、保健師が常駐し対応が出来ない患者はキャンプ外の専門病院に紹介し費用は無料とするシステムとしていた。

アフガン女性は多産であり貧血が多いため検査と栄養指導、鉄剤の投与が行われれていた。

Nasir Bagh camp

1994年に作られ、6,630家族が生活している。このキャンプはかなり大きなNGOの診療所があり保健衛生の中心的役割をなしヘルスワーカーが難民の健康相談を受けるシステムができていた。また家族単位の健康台帳がきちんとできていてそれに基づいてVaccinationなどが行われていた。

イラン

1997年9月のUNHCR・IRANの発表によるとイラン内の難民キャンプは29キャンプで82,044人の難民が生活し、その内アフガン難民は6キャンプ22,022人であると報告している。(UNHCR・IRAN:List of Active Afgha Refiugee Camp,1997)
この国には西に湾岸戦争後のイラク・クルド難民、北にアフガン難民を抱えている。8万人と言われているが実際Non-camp Refiugeesが大半でその数は膨大である。

Niatak camp

テヘランから空路2時間のイラン南東部の町ザヘダ-ンは人口50万のパキスタンとアフガンの国境に接し、UNHCRの現地事務所のある国境の町である。
Niatak campはこのザヘダ-ンからさらに北へ220kmの位置にあり車で2時間半要した。

3つのコンテナ型ハウスがヘルスポストとして設置され、2名のヘルスワーカーが中心となり保健活動が行われ、ここでも家族単位の健康台帳ができて衛生指導Vaccinationが中心に行われていた。

このキャンプでは赤痢、コレラ、マラリア、ブルセラ、B型肝炎、寄生虫による疾患がみられここでも結核患者の増加が問題であつた。ここでのNGOはなくUNHCR・IRANが管理・運営していた。
しかし北イランのマシュエド周辺ではMSFが医療活動している。(UNICEF:Afghan Women and Childrenin IRAN18-19 1998)

結論

  1. 20年に及ぶアフガン難民の保健衛生の現状について調査した。
  2. パキスタン側とイラン側との難民生活状況には大きな差を認めた。
  3. 難民帰還時には日本の緊急医療援助の必要性を認めた。
  4. 評価法や医療プランを考慮するうえで有意義だった。
  5. アフガン各キャンプ地の物量支援は現地のワーカーによる出来高払いICRC手法。(安全にLogisticsを運用できる)
  6. 電気は自己完結でした、よって電源車両(3相200V、単相100Vの大容量は)は欲しい。
  7. パキスタン側、アフガニスタン本国では無線局が許可になるので当時の駐在武官に日本大使館の周波数を借用できるよう指示した。